予科練平和記念館に初訪問
今日はRVランドのデュカト試乗会の日
試乗は16時からなので、午前中は霞ヶ浦周辺を散策
以前から興味のあった阿見町の予科練平和記念館に行ってきました
2回ほど近くを通ったのですがたまたま月曜休館日だったので今回が初訪
陸上自衛隊武器学校の隣にあります
今回は行かなかったのですが、武器学校の中には予科練記念館(雄翔館)があります
雄翔館は予科練出身者やご遺族の方たちが、戦没者の慰霊・顕彰のために建てた施設で、遺書や遺影などを中心に展示しています
予科練平和記念館は、予科練とはどのようなものだったのか、その歴史や成り立ち、阿見町とのかかわりなどを、写真や映像、資料などで紹介する施設になります
ツーリング日和だからか、飛行機乗りに通じるものがあるのか
何故かライダーが多いです
強風等で格納庫に入っている日もあるそうなので見たい方はHP等で確認した方がよさそう
残念ながら館内は写真撮影禁止、ペットも禁止です
予科練「海軍飛行予科練習生」の概要(HPより抜粋)
第1次世界大戦で航空機拡充の必要を感じた海軍は、大正11年、陸上機と水上機の両方の訓練が可能である阿見に「霞ヶ浦海軍航空隊」を設置
ここにはドイツの飛行船「ヒンデンブルグ号」や「リンドバーグ夫妻」も寄港したそうです
海軍は昭和5年に「横須賀海軍航空隊」の一隅に「横須賀海軍航空隊予科練習部」を設置し14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜
73倍の狭き門を突破し第一期生が入隊
昭和14年には「予科練」が神奈川県横須賀から「霞ヶ浦海軍航空隊」に移転
翌年には予科練教育を専門におこなう「土浦海軍航空隊」が設置されました
終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習生課程を経て戦地へ赴きました
その中には特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9千人にのぼりました
館内の様子
館内には写真家の土門拳が2か月滞在して撮影した写真を中心に当時の阿見の街の様子や訓練生の生活ぶりが展示されています
そこには当時の集団生活が生き生きと描かれていて、休日には街中に甘味を食べにいったりと悲壮感はあまりありません
飛行機乗りに憧れてとか、家庭の生活苦のためとか様々な理由があれど、73倍の狭き門を勝ち抜いたエリート達
家族に宛てた手紙の文面、特攻の出撃前に書いた遺書など
自筆の文書を眺めると、内容も10代の若者が書いたとは思えないほど立派なことはもちろん、皆、達筆なことといったら・・・
子猿を模型飛行機に乗せて墜落の実験を行った写真などを見ると可哀そうになりますが
自分の意思で突っ込んでいく特攻などの自爆兵器の悲惨さはそれ以上です
そして、終戦末期にはこの阿見町も機銃掃射や空襲の標的になって破壊されます
「畔の駅 コハン」の「かすみキッチン」へ
「道の駅たまつくり」で地元の野菜を購入
道の駅の昼食はめぼしいものが無かったので近くで見つけた公園へ
ここにある「かすみキッチン」の地産地消のランチプレートが美味しいようです
狙っていたプレートランチも常陸牛バーガーも売り切れなので
外で販売していたサンドウィッチにしました
レンタルの電動自転車もありました
ちょっと今日は風が強いので自転車は大変かも
16時予約の試乗会にはまだ早いんですが、ここから1時間半のRVランドに向かいます